HISTORY
由緒・歴史
由緒
三つの星が柳に落ち、
一つの歴史が始まる
時代は南北朝時代。〝光厳天皇を弔う為に、お寺を建立したい〟と足利尊氏の甥、空遄召運上人が真清田神社へ100日間のお参りを行います。すると、夢のお告げで「これより北東の方角に柳がある。この地は清らかであり、連夜3つの星が宿る。そこへ訪れ、願望を果たしなさい。」と告げられます。探し歩いた召運上人は、現在の一宮市寺島でついに弥陀、観音、勢至の三尊が光と共に現れるのを見て、〝これに違いない!〟と、ここに三尊を安置し、お寺を建立、これが常念寺の始まりです。
歴史
- 明徳元年(1390)
- 常念寺創建
- 天正年中(1573〜93)
- 兵火により焼失。一宮城主関十郎右衛門が現在の地に再建立し菩薩所とした。
- 寛永以来(1624〜)
- 藩祖徳川義直の岐阜遊覧の際の休憩所となる。鷹狩りと称して軍事訓練を兼ねてたびたび寺を訪れている。
- 天保2年(1832)
- 西国の阿弥陀仏の霊場四十八願札所が選定され、第一番を長野善光寺、第二番を飛保曼茶羅寺(江南)、第三番を当寺とし、全国から巡礼の人々が集まった。
- 天保15年(1845)
- 本堂改築
- 昭和20年(1945)
- 7月28日、第二次世界大戦末期 一宮大空襲にて水屋を残して諸堂全焼失。
- 昭和23~31年(1948〜56)
- 再建
ゆかりある偉人のお墓
一宮城主、関氏の墓
常念寺は、かつての一宮城主であった〝関一族〟の菩薩寺です。織田家に仕えた戦国時代の武将、関成政をはじめとした関氏の墓を拝観しながら、その歴史に想いを巡らせてみてください。
光厳法皇の御宝塔
光厳法皇は、かつて朝廷が北朝と南朝に分かれ争いを繰り広げた南北朝時代、1336年に北朝初代天皇として君臨していました。そして、光厳法皇の菩提を弔う為建立されたのが当寺、常念寺です。是非、その歴史ある御宝塔にお参りください。